あなたは、日本で使われている2つの旗、旭日旗(きょくじつき)と日章旗(にっしょうき)を知っていますか?
どちらの旗が日本の国旗で、もう片方の旗はどんな場所で使われているのか、というのは、日本人としてしっかり抑えておきたい知識の1つです。
旭日旗と日章旗について調べた結果を解説いたしますので、よろしければお付き合いください。
旭日旗とは?
旭日旗の読み方はきょくじつきです。
旭日を図案化した旗。旧日本軍の連隊旗・軍艦旗など。旭旗 (きょっき) とも呼ばれています。
太陽および太陽光(旭光)を意匠化した旗で、光線(光条)が22.5度で開く16条のもの(十六条旭日旗)がよく知られていますが、光線の数が4条、8条、12条、24条のものもあります。
16条のものが代表的になったのは、天皇旗に描かれている菊の花の花弁の数が16枚だから、という説が濃厚です。
日章旗とは?
日章旗の読み方はにっしょうき。
辞書によると
日本国の国旗である日の丸の旗。縦横比が2対3の白地の長方形の中央に、縦幅の5分の3の直径をもつ紅色の日章を配する。明治3年(1870)の太政官布告で日本の商船が掲げるべき旗と定められ、のち実質上国旗として用いられた。平成11年(1999)施行の「国旗国歌法」で国旗と定められ、意匠も決められた。
とあります。
国旗と正式に定められたのが平成10年を過ぎてからだった、というのは驚きですね。
旭日旗の意味とルーツ
旭日旗に使われているデザイン「旭日」のルーツはとても古いです。
旭日は文字通り、あさひ、つまり太陽の光を意味しています。
日本神話で一番高い地位にある神様は、天照大神で、太陽はその象徴とされているため、日本人にとって太陽は二重の意味で尊いものでした。
その太陽をデザインした旭日は、武家の家紋としても使われていました。
また、紅白という組み合わせは、日本では古くから縁起物としてよく使われていて、その縁起物である紅白と尊い旭日を組み合わせて、旭日旗がデザインされたと言われています。
それを、1870年、大日本帝国陸軍の旗章として、法令上制定されたのが、旭日旗のルーツです。
第二次世界大戦が終わった後、1954年自衛隊が発足した時に、旭日旗は、陸上自衛隊においては「自衛隊旗」、海上自衛隊においては「自衛隊艦旗」として使われるようになりました。
日章旗の意味とルーツ
日章旗のルーツは、旭日旗と同じです。日本人にとって二重の意味で尊い太陽をデザインしたものです。
昔は白地に赤い日の丸という色調ではありませんでしたが、源平合戦の頃に今のデザインになったという説があります。
日章旗が国旗になった成り立ちですが、江戸時代、白地に赤丸というデザインが演技の良いものとして人気が高まっていました。
1853年にペリーが黒船で来航した時、日本の国旗が必要だという事になり、薩摩藩主の島津斉彬公が、白地に赤丸という日章旗のデザインを提案し、それが採用されたという説が最も有力です。
第二次世界大戦後の一時期、日章旗の掲揚が禁止された時期があったり、国内で日章旗を国旗にする事に反対する意見が高かったり、と色々ありましたが、1999年(平成11年)に、ようやく「国旗及び国家に関する法律」国旗国歌法が交付されて、ようやく正式に国旗に定められたのです。
旭日旗と日章旗の違い
旭日旗と日章旗の違いは、どちらも日本固有の旗とされているのは共通ですが、
日章旗は国旗である。
という点です。
よく誤解されているのが、第一次及び第二次世界大戦の間、旭日旗が国旗だった、という事ですが、日本の国旗は、ペリー来航時に定められた時からずっと日章旗です。
旭日旗は軍旗だったので、大戦時クローズアップされていたので、当時の国旗が旭日旗だったという誤解が生まれたのでしょう。
そういった違いはありますが、旭日旗と日章旗、どちらもルーツは尊い太陽と演技の良い紅白の組み合わせ、というところから生まれています。
どちらも大切な日本固有の旗です。大切にしましょう。
まとめ
旭日旗と日章旗についての解説、ご理解いただけましたか?
旭日旗が戦争を連想させる、と言って避ける人が少なくないのも事実ですが、元は戦争賛美からデザインされたのではなく、前述の通り尊いものと演技の良いものを組み合わせたデザインなのです。
その事を忘れないように、しっかりと頭に刻んでおきましょう。